蹄鉄あれこれ
トレーナーさんから装蹄師である福永守さんのお話を聞いてから蹄鉄が気になってしまった私。折角調べたので記事にしてみました!
蹄鉄って…しゅごい…!
蹄鉄ってなんや
蹄鉄は蹄の破損や摩耗を防ぐための保護具のこと。
「野生の馬は蹄鉄つけてないけど平気なの?」と思うかも知れませんが、これは野生の馬とは違って家畜の馬は蹄が弱いため。馬の家畜化によって蹄鉄で蹄を保護する必要性が出てきましたが、その原因が…
野生環境で食べられている雑草・低木は栄養価が高い。更に、野生の馬は様々な餌になるものの中から自らの生理要求にしたがって必要とされる栄養素の多い食物を選択しているが、家畜の馬の場合は多様性の低い食物を与えられる。十分な栄養がなければ、蹄は頑丈な角質組織として発達できない。
・環境
野生の馬は様々な地形を歩き、蹄も摩耗し厳しい環境下に置かれ続けるが、これにより蹄が厚くなる。対して家畜の馬の歩く環境は限定的で、蹄が硬くなることがないため傷にも弱い。
・湿度
馬は元々乾燥した草原に住んでいた。湿気の多い粘土質の土は馬の蹄を弱くしてしまう。
・荷重
人間、積み荷、貨車による負荷で蹄が摩耗する。
・遺伝
家畜化により、馬の脚は大きく、長く、脆弱で柔軟になっていった。
・アンモニアへの接触
野生の馬や遊牧の馬とは違い、馬小屋では常に蹄が尿が微生物によって分解して生じたアンモニアにさらされている。蹄はほぼケラチン(タンパク質)で出来ているため、アンモニアで弱ってしまう。蹄鉄をつけていればアンモニアから蹄を守ることが可能。
・滑り止め
馬術競技馬、飛越競走馬、ポロ用の小馬など、平坦でない地面を高速で走行する必要のある馬にとって有益。
想像以上にいっぱい原因があってびっくり。
そうか、尿も蹄には悪影響なのか…馬にとって蹄鉄がこんなに大事だったとは知りませんでした。人間にとっての靴どころじゃないね!
蹄鉄の歴史・起源
気になる装蹄の起源についてですが、不明な点が多く未だに結論は出ていないそうな。
でも、ローマ時代に馬を持っていた人は蹄の上に革製のブーツを履かせて紐で縛り付けていたんだとか。
蹄鉄が西洋の文献に初めて出てくるのは4世紀頃。ローマ時代の遺構からは294年のものらしい金属製の蹄鉄が見つかっているものの、一般的に金属製の蹄鉄が使われるようになったのは中世(5~15世紀)以降のようです。
李氏朝鮮時代(1392~1910年)の装蹄作業
現代の装蹄作業と比べるとえらい違いです。馬めっちゃ嫌そう。でもこのオッチャンたちも命がけで装蹄作業しているのかと思うと…ただただ装蹄技術の進歩に感謝である
現代の装蹄作業
日本でなかなか普及しない蹄鉄~その1~
日本では古くから馬沓(うまぐつ)と呼ばれる藁などで作った馬用の靴が使われていました。藁のほかにも皮や和紙、馬毛、人毛で作った馬沓もあったようです。でも日本在来種の馬は蹄が硬かったため、蹄鉄がなくても問題はなく普及はしませんでした。
馬沓(うまぐつ)
馬沓をはいた馬
歌川広重による馬沓(うまぐつ)をはいた馬の絵
日本でなかなか普及しない蹄鉄~その2~
徳川吉宗はアラビア種の馬を輸入し品種改良を試みたこともあるそうです。
1733年には馬術教練士官と装蹄師が来日したものの、既に戦場で駆け回ることもなかったためこのときも蹄鉄は普及しませんでした。
江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗が馬の品種改良…馬術教練士官と装蹄師が来日…江戸時代ってすごい。なんか現代の話みたい
金属製蹄鉄の普及は明治以降
明治以降になると各国から蹄鉄技術が日本に入ってきました。1873年にフランスから装蹄教官を招き、1890年(明治23年)にはドイツ人教官を招聘して蹄鉄技術の導入と定着が進みました。
蹄鉄技術が農山村部に普及するのは大正になってからです。1890年(明治23年)には蹄鉄工免許規則が制定され、蹄鉄工は国家資格となりました。
日清・日露戦争では日本軍は蹄鉄工の不足に苦しみ、そのため、蹄鉄工は軍隊では優遇された存在で、准士官である特務曹長待遇の蹄鉄工長まで昇進することができたそうです。蹄鉄工長は獣医学校で短期間学び、獣医になる道も用意されていたんだとか。
競走馬と蹄鉄の逸話
馬の蹄に合わせて作った蹄鉄は通常、伸びた蹄を削り(削蹄)釘で打ち付けて装着されます。(蹄鉄は既成のものの形を整えて使う場合もありますが、形が合わない場合には装蹄師さんが自ら鍛冶仕事をして蹄鉄を作り出すことも)
馬場に合う特殊な蹄鉄を履くことで最大限に競走能力を発揮させることを助けることもあるという蹄鉄。そんな競走馬と蹄鉄のエピソードをいくつかご紹介いたします~!
シンザン
シンザンには柔軟性と強いバネにより前肢と後肢の蹄が接触してしまい、蹄を傷つけてしまうという特徴がありました。これを克服するため武田文吾調教師と福田忠寛装蹄師が考案したのが「前肢用の蹄鉄には梁を十字に渡し、後肢の蹄の先をスリッパのように覆うような形の蹄鉄」。「シンザン鉄」と呼ばれています。
ヒカルイマイ
直線で22頭ごぼう抜きという伝説的な追い込みで東京優駿を優勝したヒカルイマイ。菊花賞に向けての調整を行っている途中、削蹄ミスから屈腱炎を患い、2年間休養した後、現役を引退しました。
イクノディクタス
デビュー前に浅い屈腱炎を発症しデビューどころか安楽死も検討されていたというイクノディクタス。そこで「骨折以外の足の故障は装蹄で治せる」という持論を持つ装蹄師である福永守に相談したところ、その巧みな装蹄によって故障を克服。51戦を戦い抜き「鉄の女」と呼ばれました。
サクラローレル
凱旋門賞の前哨戦・フォワ賞に出走するもレース中に屈腱不全断裂を発症。症状は引退どころか安楽死処分すら危ぶまれるほどの重症でした。その後、なんとか症状を克服し種牡馬入りしましたが、「普段担当していた装蹄師を帯同せずに現地の装蹄師が担当したこと」や「馬場が硬かったこと」「もともと脚元に不安のあったこと」が故障の原因ではないかと言われています。
故障発生の際、サクラローレルの価値を知らない現地の獣医師が「競走馬としてはもう使い物にならないから、薬殺してもいいか」とフランス語で問いかけ(それだけ怪我の状態が悪く予後不良レベルであったということでもある)、意気消沈した現地スタッフが言葉の意味も分からず同意しかけてしまい、フランス語が分かるスタッフが慌てて「馬鹿野郎!ローレルを殺す気か!!!」と叫び危うく難を免れたというエピソードも。
あ、危なすぎる…でもそれだけ状態が酷かったってことなんだよね。そんなサクラローレルは5月8日に28歳の誕生日を迎えて今も元気。まだまだ長生きしてほしいね!
タイキシャトル
タイキシャトルは生まれつき蹄がもろく、志賀勝雄装蹄師により「フォーポイント」という特殊な技法の装蹄を施されました。フランスのジャック・ル・マロワ賞を含め国内外でGI競走5勝を挙げたタイキシャトルの実績は志賀装蹄師の装蹄でなければ達成できなかったと評する者もいたそうです。
元気いっぱいなウマ娘のタイキシャトルちゃんにも蹄鉄にまつわるこんな逸話があるのかもしれない…ウマ娘の場合は蹄鉄シューズだけど、蹄鉄ってどんな役割を果たしてるんだろう。
ディープインパクト
普通の馬は蹄に1cmくらいの厚みがあり、ここに釘を打って装蹄を行うものの、ディープインパクトはこの厚みが半分の5mmしかない。そのため従来の方法では釘が神経に達してしまう恐れがあり、満足な装蹄が出来ずにいました。
そこで西内荘装蹄師が考案したのが釘ではなく特殊な接着剤で固定する「エクイロックス」と呼ばれる最新の装蹄方法。蹄の問題をこうして克服したディープインパクトは見事、日本ダービーを制覇しました。
西内さんの思い切りには武さんもびっくり。
アーモンドアイ
大活躍を魅せている我らがアイちゃんことアーモンドアイもトモ(後肢)の推進力が強過ぎて、右前脚の蹄付近にぶつけて傷付けてしまうという問題を抱えていました。薄い蹄はGI馬に共通した特徴なんだとか。
牛丸広伸装蹄師が何日も考え抜き、2時間かけてやっと完成させた蹄鉄をはいてアーモンドアイは秋華賞を制しました。
蹄鉄の可能性は無限大
蹄鉄はヨーロッパでは魔除けや幸運のお守りになると信じられているそうです。
日本では馬が人間を踏まないということからJRAが馬の蹄鉄を交通安全のお守りとして販売しています。
こんなオシャンティな蹄鉄グッズも。すげえ
また、世界各地には蹄鉄を投げて遊ぶ「蹄鉄投げ」という遊びがあり、米国ではホースシューズ(ホースシューピッチング)という人気スポーツに。
そしてなんと、ホースシューズは日本でも親しまれていた!!!
1991年「日本ホースシューズ協会」設立。競技人口は約5000人で、全日本選手権大会が開催されています。(ルールもろもろは日高振興局のサイトからどうぞ)
いやはや、蹄鉄も装蹄師さんも本当にすごい!
「蹄鉄って投げたらよく飛びそうだな~」とは思ってたけどまさかホースシューズっていうスポーツがあるとは知りませんでした。
汗や尿や芝やダートが染み込み、走った分だけ傷付いた蹄鉄はまさに馬の人生の記録!「これをあの馬が…」と思うとたまりませんな。もちろん装蹄師さんの努力の結晶でもある。
ドキュメンタリーのようなカッコイイ映像で装蹄師さんの仕事ぶりを拝見出来るこんな動画もありました。湯気出てる…
お母ちゃんの蹄鉄はイベントクリア報酬とかなんだろうな