スペシャルウィークの一周忌
2018年4月27日。スペシャルウィークが天国に逝ってしまってから今日でちょうど1年です。ウマ娘の主人公であるスペちゃんのモデルにもなった競走馬スペシャルウィークの名シーン・名レースを振り返ってみたいと思います。
日本総大将スペシャルウィーク
スペシャルウィークは1995年5月2日に生まれました。
主な勝ち鞍は1998年東京優駿、1999年天皇賞春、天皇賞秋 、ジャパンカップ。テイエムオペラオーが記録を塗り替えるまで当時の日本最高賞金獲得馬となっていました。
母キャンペンガールは受胎中に何度も疝痛を起こして衰弱し、スペシャルウィークを産んだ5日後に亡くなってしまったため、幼少期のスペシャルウィークはばんえい競走の農耕馬に育てられました。
あまり他の馬たちと行動せず、いつも一人で遊んでいたというスペシャルウィークは乳母の性格がきつかったこともあり、人間の手をかけて育てられ、とても人懐っこい仔馬だったそうです。
1997年11月29日・3歳新馬
デビュー前から「この馬は走る」と確信していたという武豊騎手を鞍上にしてデビューし、単勝1番人気で見事初戦で勝利を飾ります。
1998年6月7日・日本ダービー
皐月賞ではセイウンスカイに及ばず3着となったスペシャルウィーク。
鞍上の武豊騎手はこの時デビュー12年目で、クラシックの中でただ一つ日本ダービーにだけ勝てていませんでした。今では全く信じられませんが、当時は「武はダービーに勝てない運命」とまで言われていたそうです。
そんな日本ダービーでは直線追い通し、さらに興奮のあまり武豊騎手がムチを落とす場面もあったものの5馬身差で圧勝しました。
1999年10月31日・天皇賞秋
1999年、陣営は年内での引退を発表していました。秋初戦の京都大賞典では全く伸びず生涯で唯一掲示板を外すという7着という結果に。この頃から調教で動かなくなり天皇賞秋の直前の調教では500万条件の馬に負けてしまったそうです。
「スペシャルは終わった」とも囁かれ、天皇賞秋では4番人気に。身体を絞って挑んだこのレースでは直線に入ると末脚を披露しステイゴールドをクビ差抑えてレースレコードで勝利!タマモクロスに続く2頭目の天皇賞春秋連覇を達成しました。
このレースの1年前の1998年11月1日の天皇賞秋ではサイレンススズカに騎乗していた武豊騎手。スペシャルウィークで天皇賞秋を制した後のコメントで「最後はサイレンススズカが背中を押してくれました。」と話しています。
99年 天皇賞(秋)
スペシャルウィーク、逆襲のラン。
本当の敵は、諦めだ。
人の言葉を理解した馬
スペシャルウィークを担当した白井寿昭元調教師はスペシャルウィークについてこんな風に語っています。(一部抜粋)
彼は人間の言葉が分かるのではないか?
冒頭にそう言った。母が早世し、生産者の方が乳母を探してきて育てた馬。
子馬の頃から多くの愛情を注がれた彼は、自身もまた人間に対しての愛情を持っていた。環境の変化に動じない性格と言われる馬がいる。
先天的なものが理由の馬が多いのかもしれない。
血統が好きな私は特にそう思う。しかし、スペシャルウィークは違う。
彼の穏やかな性格は、彼の周囲が作ったもの。
その偉大な足跡も、彼に愛情を与え続けた人の手によって、生み出されたものだ。競走馬と人間の関係性。
それが重要なのだ、と彼は私に教えてくれたのだ。
一周忌にあたる4月27日に、彼の蹄跡を振り返る記事を組んでみるのはどうでしょうか?
トレーナーさんに教えていただいたんですが、「彼の蹄跡を振り返る」ってなんかすごくジーンと来ました。軌跡を振り返るとか辿るとか言うけど、蹄跡かあ…競走馬たちが歩んできた人生を我々は見ているのか…
訃報を知った時は本当にショックだったけどもう1年なんて本当に早いね。
スペシャルウィークが居なかったら今のような形でウマ娘は存在していなかっただろうし、シーザリオだって生まれてないから「うおおおおサートゥルナーリア!」とか皐月賞見ながら絶叫したりしていなかっただろうなと思うとすごく感慨深いです
明日はスペシャルウィークも勝利した天皇賞春だぜえええ!みんな無事に走ってくれますように
もう一年も前なのか
アニメだとちょっと尺足らず(天皇賞春など)だったけど99年の日本競馬は彼なしでは考えられなかったくらい凄かった
最近エルコンのifで悪い方ばかり言われていたけど、個人的には全盛期オペラオー&ドトウとの戦いの方が見てみたかったような・・・