史上最強の一発屋と呼ばれたあの馬
競馬の世界には様々な名馬たちが存在していますが、「史上最強の一発屋」と呼ばれ愛されたダイユウサクのエピソードをご紹介します。
手違いで「ダイユウサク」
馬主・橋元幸平さんの孫の名前「コウサク」にちなんで「ダイコウサク」と名づける予定が、手違いで「ダイユウサク」に。
マジかよやっちゃった…でもセーフ!当時はデビュー後も馬名を変更することが出来ました。
しかし。
ダイユウサクのあまりの惨敗続きに馬主さんは「これでは孫の名前を付けようがない」と、ダイユウサクのままで通すことに決定。
そんなちょっと変わった馬名の由来を持つのがダイユウサクという競走馬です。
これはビックリ、ダイユウサク!!
5戦目にして待望の初勝利を挙げたダイユウサク。虚弱体質故に競走馬としては異例の遅生まれでしたが、阪神・芝1200mのコースレコードを更新するなど、常に好走を続けました。
そして6歳になるとオープン、重賞の出走も増えていきます。G1初挑戦となった天皇賞秋では6着のオグリキャップに半馬身差と迫る7着。ダイユウサクにとっては希望を持てる結果でした。
そして1991年の有馬記念、世紀の番狂わせに誰もが驚愕することとなります。
当時、トウカイテイオーやレオダーバンなど有力馬の故障による出走回避もあり、ダイユウサクはJRA推薦馬として有馬記念に出走することに。
しかし人気はメジロマックイーンに集中。ダイユウサクは15頭立ての14番人気というブービー人気でした。
レース最後の直線、それまで中団で待機していたダイユウサクが内ラチ沿いを強襲。早めに抜け出したプレクラスニーに並ぶ間もなく先頭に立つと、メジロマックイーンに1馬身4分の1の差をつけて優勝してしまったのです!
これには誰もが驚いて、実況していた堺正幸が「これはビックリ、ダイユウサク!!」と叫ぶほどでした。
なお、この時の勝ちタイム2分30秒6はイナリワンが持つ従来の記録を1秒1も更新するコースレコードであり、2003年の有馬記念でシンボリクリスエスにコンマ1秒破られるまでの12年間レコードタイムであり続けました。
史上最強の一発屋へ
馬主の橋元さんすら「有馬記念で勝てるはずがない」と思い観戦にこなかったものの、見事優勝したダイユウサク。
7歳で有馬記念に勝利したのはスピードシンボリ、グリーングラスに続いて3頭目でした。
よっしゃ!この勢いで連勝や!と、ダイユウサク8歳となる翌年1992年も現役を続け、天皇賞春、安田記念、宝塚記念とG1レースにも挑むも一切勝てず… 結局有馬記念の後は1つも勝てないまま引退したため、「史上最強の一発屋」と呼ばれることになりました。
ウイニングチケットたちと仲良し!
ダイユウサクは引退後、新冠の八木牧場で種牡馬になり、1998年に種牡馬を引退。 その後は観光施設・うらかわ優駿ビレッジAERUで余生を送りました。
うらかわ優駿ビレッジAERUではニッポーテイオーやウイニングチケットらと仲良しだったそうです。
1990年3月21日生まれのウイニングチケットは今でも元気!
でもさ、一発屋と言われても一花咲かせたダイユウサク兄貴は立派ですぜ。一花咲かせられる方が珍しいんだし。
手違いでつけられちゃった名前だったけど松田優作とダイユウサク、スティーブ・マックイーンとメジロマックイーンで「映画馬券」なんて盛り上がったりなんかしちゃったりして。人生ってドラマやな〜と思わせてくれる馬でした。
ツインターボ師匠が飛ばしたからね(汗)