日本で唯一の金メダル
8月26日、総合馬術最終日が行われ個人と団体で金メダルを獲得しましたが、日本で唯一、オリンピックの馬術競技でメダルを獲得したのが1932年ロサンゼルスオリンピックのバロン西とウラヌス号です。
アジア大会で金メダル!
アジア大会の総合馬術最終日は障害飛越が行われ、前回銀メダルの日本(弓良選手、平永選手、北島選手、大岩選手)が金メダルを獲得しました!
(画像左から平永健太選手、弓良隆行選手、大岩義明選手、北島隆三選手)
日本ではあまり馴染みのない馬術も徐々に注目されてきているようですが、実は日本はオリンピック馬術競技で金メダルを獲得しています!
バロン西とウラヌス号
バロン西という愛称で呼ばれていた西竹一さん(1902年7月12日 – 1945年3月22日)は華族(男爵)、日本陸軍大佐で、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術大障害飛越競技の金メダリスト!そんなバロン西の愛馬がウラヌス号です。
フランス生まれで、品種はアングロノルマン。血統は不明ですが、体高が181cmもあるとても大きな馬でした。元の持ち主がウラヌスを乗りこなせず売りたがっていたことを知らされたバロン西が6000リラを支払い購入。
ウラヌスの気性はかなり激しく、バロン西以外は誰も乗りこなすことが出来なかったんだとか。
金メダリスト
その後、バロン西とウラヌスはヨーロッパ各地の馬術大会に参加し、数々の好成績を残し、ついにロサンゼルスオリンピック馬術大障害飛越競技にて優勝、金メダリストとなりました。
これは2016年にリオデジャネイロオリンピックが閉幕した現在でも日本がオリンピック馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録となっています。
硫黄島
このオリンピックの後、西さんは本業の軍務に戻ります。そして1945年3月22日、硫黄島の戦いで戦死。
ウラヌス号は引退後、馬事公苑で余生を送っていましたが、西さんの後を追うように1945年3月28日に病死したそうです。
西さんが硫黄島で最期の時まで身につけていたウラヌスのたてがみが戦後、アメリカで発見され、現在は本別町歴史民俗資料館に収められています。
戦時中は「馬は兵器だ!」ということで50万匹とも100万匹とも言われる馬たちが人間と一緒に出征していったんだそうです。しかも帰ってきたのはたった1頭だけだとか…
馬も人間も平和に暮らせる今でよかった。
馬は運搬と食料両方の価値があったし、地域によっては近代まで騎兵隊もいたから、軍史とは切っても切り離せないのよね。
日本で競馬が広まったのも、優良な馬を育てるための国策だったし。
靖国神社だけでなく、全国の護国神社に行くとだいたい軍馬の慰霊碑があるけど、ウマ娘の世界でもきっと軍服着たウマ娘の像があったりするんだろうな。