競走馬と騎手
競馬の魅力について細江純子さんは「馬と人が対話をすることで競走馬になることが魅力」とお話されていましたが、競馬を語る上で欠かすことの出来ないのがジョッキーの存在。
今回はそんなジョッキーの名言をまとめてみました!
カッコ良すぎる騎手の名言集
以下でジョッキーの名言をまとめました!(敬称略・名前の順番はランダム)
中野栄治
日本ダービーの単勝オッズはメジロライアンが1番人気で、中野栄治騎手が騎乗していたアイネスフウジンは3番人気でした。
岡部幸雄
日本ダービーでシンボリルドルフが向こう正面で岡部のゴーサインに反応しなかったために競馬場は騒然。しかし、直線に入ると自らハミをとり先を行く3等を差し切り二冠達成。この出来事から出た発言。
大西直宏
サニーブライアンで皐月賞に続いて日本ダービーを制覇した時の言葉。
中野渡清一
持込馬だったマルゼンスキーは当時の規制でクラシックへの出走資格が無く、目標となるレースがなかったため怪我をきっかけに8戦8勝と無敗のまま引退。
中島啓之
日本ダービーが行われる直前、医師から末期の肝臓ガンで余命3ヶ月だと伝えられた中島啓之騎手。もはやジョッキーとして馬に乗れるような状態ではなかったにも関わらず、せめてダービーだけはと懇願し翌週5月26日に行われた日本ダービーでトウショウサミットに騎乗。その時の中島騎手の言葉だそうです。
吉田豊
1997年、秋華賞で1.7倍という圧倒的な人気だったメジロドーベル。しかしメジロドーベルを信じ、プレッシャーは感じていなかったとのこと。
的場均
1989年、ドクタースパートで菊花賞を静止デビュー15年目にしてG1初制覇。
-12kg減量、限界まで絞り込んだ馬体で天皇賞春に挑み、メジロマックイーンに2馬身半の差をつけて勝利。
1995年、骨折を乗り越えて2年ぶりに出走した天皇賞春で勝利。今までヒール扱いされていたライスシャワーへの評価が一変しました。
エルコンドルパサー、グラスワンダーの主戦騎手でもあった的場騎手。
小島貞博
クラシック初勝利となった皐月賞で。
渡辺薫彦
ナリタトップロードで皐月賞3着、日本ダービー2着という結果に悩んでいたという渡辺騎手。しかし1999年、ナリタトップロードを信じて挑んだ菊花賞で1着を掴み取ります。
南井克巳
ハクタイセイの父は1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を集めた国民的アイドルホースと言われ、第一次競馬ブームの立役者となったハイセイコー。
ミルコ・デムーロ
2003年、ネオユニヴァースで史上初の外国人ダービー騎手に。
横山典弘
1998年菊花賞をセイウンスカイが制覇。(武豊騎手のスペシャルウィークは3着。2着は福永祐一騎手のキングヘイロー)
和田竜二
安田康彦
宝塚記念、天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念、天皇賞春…5度に渡りテイエムオペラオーに負け2着だったメイショウドトウ。2001年の宝塚記念で6度目にしてテイエムオペラオーに勝利!1着を掴み取りました。
武豊
1998年スペシャルウィークでダービー初制覇。
1996年菊花賞、レース前に橋口弘次郎少教師にそう宣言したそうです。
サイレンススズカの悲劇の翌年1999年の天皇賞秋。武騎手はスペシャルウィークで1着を勝ち取りました。
これがなくなったら寂しいだろうな、と思う。レース前はぐっすり眠っても、レースのあとは興奮して眠れないことが多いですね」
始める前に、結果が出たあとのことをとやかく考えたって仕方がないじゃないですか。ぼくは、考えなくてもいいことは、ホントにぜんぜん考えない。単純なんですよ」
デビュー以来3500勝したけれど、出走回数は1万7000回以上。
勝率にしたら2割に満たない。負けた数のほうがはるかに多い」
だからこそ、楽しい。
馬とともに走り、馬とともに勝つのは、人生をかけて追い求めるのにふさわしい巨大な謎だから」
競馬の名言めっちゃカッコイイですよね。馬との絆を感じる言葉とか、すごく胸が熱くなる…
あと武さんの「成功したらどうしようとは考えていますが、失敗することは全然考えてないです」って名言ヤバイ。強い。カッコイイ。
しーい!しーい!