戦後初の三冠馬シンザン
1961年4月2日、北海道浦河町の松橋吉松牧場で生まれたシンザン。後にクラシック三冠を制覇し、天皇賞(秋)と有馬記念すらも優勝したことから五冠馬の称号を与えられたシンザンとはどんな馬だったのか?
シンザンとはどんな馬だった?
雑談掲示板より
名無しのトレーナー
三冠馬でもシンザンってあまり出てこないんだけど
どんなウマだったんだ。成績見たら凄い美しかったんだけど名無しのトレーナー
二足歩行で50m歩くぞ名無しのトレーナー
それはやべぇww、実際にその光景見てみたかったな名無しのトレーナー
シンザン 二足歩行 で検索したら写真は出るよ
しかも引退してだいぶ経ってからのだぜw名無しのトレーナー
ニコニコ大百科の記事が面白い
競走成績、知能、種牡馬成績、寿命などなど考えるとある意味もう日本でこの馬を超える馬は現れないかもしれないね(時代は変わったのだ)名無しのトレーナー
ニコ大の記事ええよな、書いてる人シンザン好きなんだろうなって伝わってくるしあれ読んでシンザン好きになった名無しのトレーナー
戦後初の三冠馬はもちろん、天皇賞(当時は勝ち抜き制)・有馬記念も制して五冠達成(出走可能な大レースはすべて制したことになる)
さらに19戦連続連対という大記録
それに次ぐのがビワハヤヒデの15戦連続連対、生涯連対記録だとダイワスカーレット12戦連続連対が最多だから、どれだけ化物ということかがわかる名無しのトレーナー
宝塚記念も勝ってるけど、当時はまだG1じゃなかったのだったか名無しのトレーナー
八大競争では無いから、G1級とは扱われないっぽいね
ちなみに八大競争は、皐月賞・ダービー・菊花賞・桜花賞・オークスのクラシック五競争に春秋の天皇賞と有馬記念名無しのトレーナー
ちなみに亡くなったのも35歳という驚異的なご長寿っぷり
前の東京オリンピックの歳に三冠達成した馬がアトランタオリンピックの年まで生きてた名無しのトレーナー
シンザンの有馬ラストランは笑えるレベルで強い
対戦相手のジョッキーが徹底的にシンザン対策して潰しに行ったのに跳ね返したからな名無しのトレーナー
シンザンが消えた!だね
他の人も書いてるけど、色々な意味でこの馬を越える馬はもう出ないと思う名無しのトレーナー
反則スレスレの斜行でシンザンを苦手な荒れた内側に誘導しようとしたら、さらに外側の一頭分の隙間をこじ開けてきたとかいう意味不明さよ名無しのトレーナー
荒れた内側を通ってワープしたゴルシも中々に凄まじいのだが、通れる幅がほぼ無い大外も大外にぶん回されたのにそこに突っ込んで抜け出すシンザンもおかしいよ名無しのトレーナー
シンザンを生で見たって人もかなりご高齢になられてきてるし、その方達が存命のうちに色々話を聞いておいてほしいね名無しのトレーナー
調教が大嫌いで常にサボり気味なんで、本番前に適当なオープン戦を調教代わりに使ってたらしい
そしてそのオープン戦は本番じゃないことが分かってるらしく、流し気味なので2着に負ける名無しのトレーナー
シンザンは深山とか神讃とか書かれることが多いが、実は由来がよく分からないとか見た名無しのトレーナー
調教は走らないわ見映えしないわで新参と呼ばれたことも有るという名無しのトレーナー
ウィキペディアには出典付きで「伸山」とあるがなあ。名無しのトレーナー
横綱相撲という意味じゃオペやルドルフ以上だからな。
レースセンスの完成度に於いてアレ超える馬は未だに居ないと思う。
競走馬の脚力を考えたら、余程腰や脚が悪いとかない限り後脚2本で立つ“だけ”は出来る
ただし、やるかやらないかは別問題(気性難はやることが多い二足歩行は気性難代表のサッカーボーイとかでもやってたとは聞いている
人を乗せたまま二足歩行をやらかしたという話が残っているのはシンザンだけ
シンザンは神馬なので二足歩行できるしゴールの位置も把握してるシンザン記念は3歳限定のマイル戦、アーモンドアイなどスピード自慢の若駒がここを勝って高みへ駆け上がってきた元になった「シンザン」とは戦後初のクラシック3冠馬
当時出られる大レースは全て勝ち、初めて5冠馬となった神馬
伝説的なエピソードも多く、日本競馬における神話的存在といえる pic.twitter.com/8XCQChbeRu
史上2頭目の三冠馬になったシンザンは引退後の当初は中々繁殖牝馬が集まらなかったというお話もあったみたいですね。その当時は生産者が外国産種牡馬に注目していたからとか..
種牡馬生活晩年になってからミホシンザンが出てきたり、引退してからも凄いのよね