小咄おいちゃんがやってきた!
いつも雑談掲示板で面白い話を聞かせてくれる小咄ニキによるジーンと来るお話をご紹介させていただきます!
乗り替わりという契機
名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:07:34
ここで一つ小咄
・乗り替わりという契機
内国産種牡馬不遇の時代に活躍した名内国産種牡馬アローエクスプレス
その競走生活にはちょっとしたエピソードがある
生まれつき脚が外向していたこの馬をうちにという調教師は中々現れず、デビューすら危うい可能性があったこの馬を引き取ったのは、厩舎を開業したばかりの調教師高松三太であった
そしてデビュー前から優れたスピードを示したアローの鞍上となったのは、アローが産まれた年にデビューした高松厩舎所属の若手騎手柴田政人であった
柴田はアローが3歳の間、盲腸で一回と朝日杯でそれぞれ加賀武見に鞍上を譲ったものの3勝をあげ、
翌年のクラシック戦線では京成杯で自身の重賞初勝利を挙げると、皐月賞の前哨戦スプリングSではタニノムーティエとの激闘の末かわされるも2着と結果をあげた柴田はこれに自信を持ち、皐月賞でもアローへの騎乗を望んでいたが、高松から彼に告げられたのは加賀武見への乗り替わりという事実であった
柴田のショックは極めて大きく、その晩彼はやけ酒に溺れ、深酔いした勢いで高松の家に乗り込み、一体、騎乗の何が悪かったのか?と問い詰めたという
高松はこれに対し「誰よりも自分が乗せてやりたいが、馬主もファンも許さない。アローは日本一になれる馬だから、日本一の騎手を乗せる。悔しかったら加賀武見を超える騎手になれ」と柴田を諭した
実のところ、高松も問題がなければ柴田のまま皐月賞に向かう想定でいたのであるが、馬主が加賀への乗り替わりを強く要求したため、乗り替わりとなったという経緯があったのである
柴田もこの言を受け引き下がり、悔しい気持ちを胸に閉じ込め騎乗に励んだ
柴田は後にこの出来事について、「僕は大レースでアローに乗れなかったお陰で、一人前の騎手になれた。一日も早く一人前の騎手になって、アローに恩を返したいという一念が、どうにか今の自分に繋がった」と語っている柴田自身、騎手生活最後までフリーにならず、高松三太・邦男厩舎に所属したままだったこともあり、同じ美浦の盟友でライバルであった岡部幸雄との対比として競馬界における義理人情劇の一つとして語られるお話である
ちなみに余談であるが、アローエクスプレスの馬主はその後も長年馬主を続け、柴田とも良好な関係を持ち続けた
ある年、所有馬を基本美浦に預託するこの馬主の所有馬の一頭が栗東に預託され、その主戦騎手にはデビュー3年目の若手福永祐一が抜擢された
その馬プリモディーネは翌年桜花賞を制し、祐一に始めてのG1タイトルをもたらした
この一連の経緯については祐一の父洋一と同期で親友であった柴田が洋一の息子のためにと働きかけを行ったとも言われている
名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:10:39
ほー。すごいね。柴田さんにそんな話があったとは。名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:11:57
小噺ニキだ!
文中にもあるけど義理人情だねぇ…いい話だ…名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:13:01
アローエクスプレスとプリモディーネって同じ馬主だったのか…因果は巡るんだなあと高松師の言葉はユタカさんの考え方に通じるものがあるね名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:31:24
プリモディーネも牝系遡ればアローの母ソーダストリームにたどりつきますからね
この馬主さん、昭和からリアルにダビスタやってたような人で、
アローの両親自体どちらも馬主が自分で輸入した馬
プリモディーネは自身が築いた牝系から久しぶりに出た活躍馬だったのですこの馬主さんが遺したものは今も残っていて、重賞勝ち馬が多数出ている育成牧場ファンタストクラブもこの馬主さんが主体となって設立されたものですね
(名称はアローの甥にあたる皐月賞馬ファンタスト(ちなみにこの時の鞍上は柴田で自身初の八大競走勝利だった)に由来)名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:24:07
その話相手が加賀騎手だったんか…
名無しのトレーナー 2019/05/05(日) 23:49:53
アローの馬主ってサンシャイン牧場作った人だよね
去年サンシャイン牧場に行ってプリモディーネも見に行ったけどそこそこ元気だった
やっぱりオーナーブリーダーだから応援したい名無しのトレーナー 2019/05/06(月) 00:10:50
そうですよー>サンシャイン牧場作った人
2010年に80歳過ぎて亡くなられましたが、今は息子さんが跡継いでるだったかな
最近は中々活躍馬が出なくて細々という感じですが、頑張って欲しいですね
歴史に埋もれた無名な牝馬三冠最後のレース
折角なので前に小咄ニキが教えてくれたお話もご紹介!
名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 18:02:47
三冠話が下に出ていたので、ほんと久方の小咄・歴史に埋もれた無名な牝馬三冠最後のレース
牝馬三冠といえば、「桜花賞/優駿牝馬(オークスは副称だよ!)/秋華賞」というわけだが、これは1996年秋華賞が創設されて以降のこと
じゃあ、その前は?と言うと、自分みたいにある程度古くからの競馬好きには簡単な話で「桜花賞/優駿牝馬/エリザベス女王杯」である
ただし当時のエリザベス女王杯は4歳(現表記3歳)牝馬限定で距離も2400mであった
さて、ではさらにその前は?となるとオールドファンでないと答えにくいであろう
答えは「桜花賞/優駿牝馬/ビクトリアカップ」である
このビクトリアカップが今回の主題日本のクラシック競走はイギリスクラシックを参考に戦前1930年台に相次いで創設されたレース(東京優駿(日本ダービー)のみ少し早く1932年、他は1938年および39年)であり、通称「五大競走」であった
そう「五」である、内訳は現在の皐月賞、東京優駿、菊花賞、桜花賞、優駿牝馬であり、牝馬のみ2レースなのであった
なんでかというと、そもそもイギリスクラシックがそうだからで、イギリス牝馬三冠は1000ギニー、オークス、そして最後は牡馬と同じセントレジャーである
そのため、日本でも牝馬クラシックは2競走のみが行われたのであった
じゃあ、その頃はどうだったの?というと、1952年まで優駿牝馬は秋(しかも関西)に開催されていたため、当時は、春は桜花賞から東京優駿、秋は優駿牝馬から菊花賞のような三冠ルートが存在しており、
クリフジは桜花賞・皐月賞には間に合わず、春は東京優駿、秋は優駿牝馬から菊花賞というルートで変則三冠を達成しているとはいえ、三冠最後のレースが牡牝共通というのは牝馬には辛いというわけで、
1970年、牝馬三冠最後のレースとして新たに創設された牝馬限定競走がビクトリアカップであった
クラシック競走には入らないが、それに準ずる競走と位置づけられ、賞金もクラシックに準ずる、とJRAの気合いの入れようが伝わってこよう
競争条件は後に誕生したエリザベス女王杯と同じで、順調に回を重ねたが、1975年エリザベス女王来日を記念して、翌年からエリザベス女王にちなんだレースが新設、ビクトリアカップがこれに置き換えられる形となり、6回のみの開催であえなく消滅
しかも、レース条件等はまったく同じ(ようは単なるレース名変更)なのに回数は引き継がれず、本当に過去へと押し流されてしまったそんなビクトリアカップの勝ち馬であるが、めぼしい馬はおらず、それ故後に振り返られるレースがないというのも、このレースを過去に押し流してしまった感は強い
そんな勝ち馬の中には、売れ残り牝馬の牧場孝行ニットウチドリ(気が向いたら、これで小咄書くかな) あっと驚くダイユウサクの祖母クニノハナ(この2頭管理調教師が同じだったりする)がいる
名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 18:31:37
久しぶりに小咄ニキキター!
相変わらず興味深い話だわ。名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 18:31:59
ダイユウサクの祖母かー こういう血縁は面白いですね名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 18:44:53
テスコガビーが牝馬クラシック二冠の年までがビクトリアカップで翌年からがエリザベス女王杯だっけか名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 18:55:37
テスコガビーは75年クラシック世代ですから、そうですね
そういう意味ではビクトリアカップ時代唯一の牝馬三冠馬が誕生していた可能性はあったわけで、ほんと故障がもったいなかった…
名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 22:17:58
ちょっと気になったんだけど秋華賞ってどういう経緯で出来たの?
三冠目がエリ女のままでも特に問題ないように思えるけど。名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 22:24:53
もともとエリ女は四歳牝馬限定(現在の三歳牝馬)のG1だったんや。
しかし23年ほど前に四歳馬だけでなく古馬にも解放されることになり、
代わりとして桜花賞・オークスに続く四歳牝馬限定G1が生み出された。
それが秋華賞誕生のあらまし。名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 22:41:43
ありがとナス!
秋華賞できるからエリ女は古馬戦になったのかと思ってたけど逆だったのか。
牝馬が古馬になってからの活躍の場を増やそうという狙いだったのかな。
名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 22:53:34
木主から補足歴史的には、牝馬はとっとと繁殖入りしろってのがあったため、古馬を対象とした牝馬限定競走ってのは非常に少なく、
古馬牝馬が出れる牝馬限定重賞ってと、1990年半ばですら、阪神牝馬ステークスのG2が上限で後はG3が府中牝馬ステークス(現G2)、京都牝馬特別(現京都牝馬ステークス)、中山牝馬ステークス程度ってところでした一方、1990年代に入ると牝馬でも競走馬としての活躍を重視する傾向が出てきて、「古馬牝馬」が出れる「牝馬限定」の大レースがないというのが問題になってきました
そこで、1996年にエリザベス女王杯を古馬牝馬に開放、6月にマーメイドステークス(G3)を新設という牝馬競走体系の整備(第1弾)が行われまして、
その影響で牝馬三冠競走の枠組から外れてしまうエリザベス女王杯のかわりの4歳(現3歳)牝馬限定G1が必要となったため新設されたのが秋華賞になりますその後も牝馬の競走面重視は国際的に強まってきて(その極致がエネイブルと言えなくもない)、JRAもそれを受けて段階的に牝馬競走の整備を進め、
秋華賞トライアルであった中山開催のクイーンステークスが3歳以上牝馬G3として札幌開催に移動したり(2000年)、福島牝馬ステークスが新設(2004年)、そして2006年に春の牝馬限定の大一番としてヴィクトリアマイルが新設されてと進んでいきます
(ちなみにヴィクトリアマイル新設に関しては、牝馬は繁殖を優先すべきで目標となるレースを作るべきではないという反対意見もあったそうである)名無しのトレーナー 2019/04/07(日) 23:30:52
詳しい解説ありがとうございます!競走馬としての牝馬にスポットライトが当たったのって(歴史的に見れば)割と最近なんですね。しかしG2ですら一つしか無かったとは…。
ウマ娘化した中にもエリ女勝った子何頭もいるし、個人的には素晴らしい決断だったと思います。こういう方向性の転換が今日のエネイブルやウィンクス、アーモンドアイみたいな強い牝馬を生む礎になっていると思うと感慨深いですね。
縁遠くて縁近い血統
名無しのトレーナー 2019/04/11(木) 00:13:20
新スレかー、おいちゃん小咄書いちゃうぞー・縁遠くて縁近い血統
フランス生まれ、フランス育ち、フランスで競走、フランスで種牡馬、子孫はアメリカで一時期繁栄、アメリカ競馬における名門牝系の祖の父、非ファラリス系のエクリプス父系
まあ、血統好きでもなけりゃ、なんだこりゃ、な文章であるが、これが今回のテーマである
テディ系、ファラリスと同じエクリプス系のベンドアの子孫であるテディを祖とし、特にアメリカで成功を収め、名種牡馬ダマスカスが出た頃はアメリカでも一勢力を誇った父系であるさて、そんなテディ系は日本ではどうかというとイマイチ影が薄い
メジロデュレンの父フィディオン、ニットウチドリの父ダラノーア、エイシンワシントン、バトルラインの父オジジアンなど、たまーに単発で成功するという感じで定着することなく終わり、その後の輸入種牡馬もほぼ失敗に終わってしまい、現在の日本競馬とは縁が薄い父系の1つである
が、このテディの父系は日本競馬とは切っても切れない縁があるのである
フランスで19戦11勝2着5回、これだけの競走実績を引っさげて輸入された種牡馬がいた
エルシド、日高軽種馬農業協同組合がフランスで買い付けて輸入した「アングロアラブ」である
エルシドはスカレーを筆頭に活躍馬を多数輩出、同時期に輸入されたテスコボーイとともに日高軽種馬農業協同組合の車輪の両輪としてその地位向上に大きく貢献したのであった
その血は現在もわずかに残るサラ系やアングロアラブの血統に刻まれている余談だが、テディ産駒でフランス生まれ(というかマルセル・ブサックの生産馬)の牝馬ラトロワンヌは引退後ゲインズバラの仔を受胎した状態で売却され、アメリカ人が落札、アメリカに輸送された
その後活躍馬を多数輩出、その牝系はアメリカ競馬でもトップクラスの名門牝系として現在も大きな存在となっている
日本でも、メジロアサマ、ダイナアクトレス、テイエムプリキュア、ケイティブレイブなど長年にわたってラトロワンヌ牝系の活躍馬が出続けている
名無しのトレーナー 2019/04/11(木) 00:18:51
小咄やったぜ名無しのトレーナー 2019/04/11(木) 00:57:26
テディ系はノーザンダンサー系と強いニックスだから重要なんだよなぁ(ダビつく脳)名無しのトレーナー 2019/04/11(木) 01:28:20
小咄オジチャンひさしぶり!名無しのトレーナー 2019/04/11(木) 02:27:58
補足ではありますが、
SSがアメリカで種牡馬として需要がなく社台に売却される流れになったのは、
SS自身の牝系が目立たないものであったのもありますが、
同期でライバルであったイージーゴアがラトロワンヌ牝系の中でもとりわけ華々しい血筋の出身であったのも一因になってますね名無しのトレーナー 2019/04/11(木) 10:43:13
SSの母父Understandingもテディ系出身だったりと日本競馬への影響力が何気に高い系統ですよねー。
ただニュースで乗り替わりって聞いても全くピンと来ないけど、その裏には沢山の人の人生があるんだよね…乗り替わりが話題になった今だからこそ読めてよかったな~と思えるお話でした。人も馬もみんな怪我に気をつけてこれからも頑張ってほしいね!
柴田騎手の「一日も早く一人前の騎手になって、アローに恩を返したい」ってめっちゃカッコイイ。こういう話を聞くと細江さんが言ってた「馬と人が対話することで競走馬になる」って言葉を思い出します。福永祐一騎手とプリモディーネの話に繋がるのもグッとくるしもうね…
小咄おいちゃんいつも貴重で面白いお話をありがとう!なんだか紙芝居屋さんを楽しみにしていたあの頃の気持ちが蘇ってきました。懐かしいなあ…ね、マルゼンちゃん
ピクシブのアローエクスプレスのSSも良かった