2001年、突然閉鎖された中津競馬場
2001年以降の地方競馬場廃止ラッシュのきっかけになったと言われている「中津競馬場廃止騒動」を皆さんはご存じだろうか。
中津競馬場とは
中津競馬場は大分県中津市大字大貞にあった地方競馬の競馬場。
1924年に開場、1933年に移転し、2001年3月22日に閉鎖となりました。
ピーク時である昭和54年度の売上は130億円だった中津競馬場ですが、1995年度からは単年度収支で赤字を計上し続け、2000年までの累計赤字は21億円に。
そして、この21億円の赤字を理由に中津競馬場は閉鎖されることになる訳ですが、その経緯が…
新聞で閉鎖を知る
2001年2月10日、大分合同新聞に大きな写真付きの記事が掲載されました。内容は「中津競馬場は赤字が20億円を超えたため、来春をめどに閉鎖する」というもの。
この新聞記事を見た中津競馬関係者は驚きます。
管理者である鈴木一郎中津市長は監督官庁である農林水産省には意向を伝えていたものの、一番の当事者である中津競馬関係者には何も伝えて居なかったのです。
そして放送から3日後の2月13日、中津競馬組合会議で鈴木市長は「2001年6月3日をもって閉鎖する」と正式に表明。
突然のリストラに驚きつつも中津競馬場で働く約400名の調教師、騎手、厩務員、獣医や装蹄師、開催中のアルバイトの方々は「4ヶ月あれば職探しもなんとか出来るだろう。6月3日までは頑張ろう」と思ったはずです。
しかし…
3月22日に突然閉鎖
6月3日に閉鎖と正式発表されていた中津競馬場ですが、2001年3月22日の開催を最後に突然閉鎖されてしまいます。
「ゴール判定写真を行う映像業者との契約更新ができなかったため」という理由だそうですが、4~6月の開催日程も発表されていたのに突然閉鎖なんて…
市側は6月末までに厩舎団地からも退去せよという通告を出した。
これによって約150名の競馬従事者が職を失い、約400人の家族が路頭に迷うこととなった。
引用元:http://ennosita.web.fc2.com/keiba_nakatsu.html
当時、週刊現代やNHKのドキュメント番組でも取り上げられたりと大騒動になったそうです。
しかもそれだけじゃなく「閉鎖によって仕事を失う人たちに一切の補償をしない」ということも表明しています。酷すぎて意味がわからない…
この補償問題はその後、法廷で争われることになりますが、補償額はとても満足のいく額ではなかったそうです。
見舞金は最終的に関係者225人に約2億7000万円、一人あたま120万円程度。当初労働組合が求めていた補償金の
5割にも満たない額だったといいます。さらに馬主会(当時の会長は「ゼンノ」の故・大迫忍会長)の中から
馬主46人が中津市などに約6億7150万円の損倍賠償を求める提訴をしますが、和解金は2100万円。
当初は「一切の補償はしない」ということでしたが、関係者が走り回ったことでやっとの補償額でした。
ここに至るまでは当然多くの金額と労力が費やされており、実質手元に残った額はどれだけだったでしょうか。引用元:https://wao-o.hatenadiary.jp/entry/20130319/p7
200頭が廃馬処分に
競馬場の馬たちのうち100頭ほどは他の地方競馬場や牧場などに引き取られていきました。
しかし、閉鎖決定があまりにも急すぎたため残りの200頭は立ち退き期限までに受け入れ先が見つからず廃馬処分に…
処分された馬の中には中津競馬場で2勝した4歳牝馬のヤマノシルエットも含まれていました。
ヤマノシルエットは廃止が決まらなければこの年、一番活躍するのではないかと言われていた馬だったそうです。
◆参考サイト
http://ennosita.web.fc2.com/keiba_nakatsu.html(こちらのサイトはショッキングな写真も掲載されているので苦手な方は注意)
閉鎖は仕方ないにしても、もっと余裕を持って閉鎖していればと思わずにはいられない事件。しかも2001年って。テイエムオペラオーがグランドスラム達成した翌年にこんなとんでもない事件が起こっていたのか…
最近はネット販売で地方競馬の売上も上がってるみたいです。もう絶対こんなことが起こらないようにしてほしいね。
地方競馬ってすごく個性的でコースにしてもグルメにしても面白いんだよね!地方競馬ボテ腹グルメツアーしたいな~ 中央とはまた違う楽しさを味わってみたいぜ
高崎競馬場廃止の時もほとんどの馬は屠殺場送りになったみたいだしねえ
人よりも他に移れる見込みの少ない馬が一番無惨