競馬に欠かせない「装蹄師」のお仕事
競走馬の蹄を守るための大切な「蹄鉄(ていてつ)」。そんな蹄鉄を競走馬の蹄に打つのが「装蹄師(そうていし)」のお仕事です。
今回はトレーナーさんによる『馬の神様』と呼ばれた装蹄師・福永守さんのお話をご紹介させて頂きます!
馬の神様・福永守
名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 00:02:03
競馬小話馬の神様というと何を思い浮かべるでしょう?
京都の藤森神社か、ウマ娘ともゆかりのある加茂神社か…
もしかしたら、なんの話をしたいのかわかる方もいるかもしれませんが、競馬界にはかつて『馬の神様』と呼ばれた男がいました。
装蹄師、福永守。
その腕ひとつで常識を覆し、多くの馬の命を救い、神様と呼ばれた男のお話。
昭和4年1月23日、広島県小国村の農家の長男として生まれる。当時の農家は馬や牛に頼る作業も多く、子供のころから馬に親しんで暮らす。
昭和18年。満蒙開拓団に志願。14歳にして満州へ渡り開拓に従事。15歳の頃、軍馬の育成管理を行う獣医装蹄課に配属され、これが装蹄師の第一歩となる。
終戦後、昭和23年に装蹄師免許を取得。翌年現在は廃止された福山競馬場にて開業。
翌年から修行行脚を開始。
この修行行脚は装蹄師のみならず、鋸鍛冶、刀鍛冶、こけし職人など、役に立ちそうならば片端から弟子入りし修行に明け暮れる。
屠殺場に入り浸り、馬の身体構造を研究。処分された馬の脚を購入してきてはこれの筋肉を研究し、一本一本の蹄鉄をつける研究を行う。この頃は福永家の天井には無数の馬の脚がぶら下がっていたという。
時には脚部故障で処分される寸前の馬を購入してきて装蹄による治療を行っていた。
その中にはのちに東京ダービーを制するまでに至った馬もいる。
40歳を過ぎたころに修行の旅を終え、福山競馬場に腰を据えながら後進の育成に努め、孫弟子まで含めれば150人以上の弟子を育成する。
昭和63年装蹄師を引退。
平成元年、広島県世羅西町で隠居状態であった福永守のもとに、1頭の屈腱炎の馬が預けられる。
当時屈腱炎は不治の病と言われ、これを治療することは不可能であるとされていた。馬の関係者は最後の望みとして福永のもとに馬を預けた。
福永守はこれを削蹄と装蹄のみにより治療、1カ月で屈腱炎を完治させる。
この馬はのちに鉄の女と呼ばれるイクノディクタスである。
これを機に福永装蹄治療牧場を開業。「骨折と腱断裂以外の脚の故障は全部治してみせる」というポリシーの元、脚部故障を抱えた馬の治療にあたり、ハギノトップレディーなど安楽死処分を宣告された馬でさえ治療し回復させたという。
請われれば日本中どこへでも出向き、故障を抱えた馬の治療を行ったという。平成5年、現代の名工を受賞。
平成6年、勲六等旭日章受賞。
そののちも精力的に全国を飛び回っては馬の治療と後進の育成に明け暮れ、平成25年7月20日死去。馬の歩く音で故障箇所や身体的特徴を言い当てる、装蹄の技術を語る際ある線を越えると誰にも理解できない話になる、見よう見まねで真似しても全く真似できない装蹄をすることから、「神の領域に足を踏み入れた」と評する人もいる。
装蹄をただ馬の靴を履かせる仕事ではなくし、馬の身体に及ぼす影響を研究し、現在の装蹄師の概念を成立させた福永守は日本競馬史における最重要人物の一人と言って過言ではない。
以上!超長文&散文失敬
名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 00:11:10
まさに神業ですね
生い立ちや修行時代のエピソードなど興味深かったです
競馬一家の福永家とは特に血縁関係はないのでしょうか?名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 06:01:40
血縁はないですね
ただ、福永一族との面識はあるはずです
馬の生産育成と馬主をやってらっしゃいましたし
名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 02:08:33
これはメモに保存しとこ
美術の世界でも人体解剖の知識は重要です
最近は解剖の現場への立ち入りを忌避する風潮がありよろしく無いです名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 06:06:39
美術の世界もそうだと思いますが、どう動くのかを理解するには身体構造を理解できていないといけませんからね
自然な絵にするにはそういうのが重要ということでしょうか残念ながら、馬の身体構造についての理解が乏しい競馬関係者というのが多い時代もありましたし、今でも知識に乏しい関係者がいるのも一つの事実です
名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 02:44:12
グリーンチャンネルの番組で福永さんにインタビューしてたな
競馬ワンダラーだったかな名無しのトレーナー 2019/05/12(日) 06:09:20
民法やNHKのドキュメンタリーの題材になることがよくありましたし、自身がメディアに出ることで、馬の健康について関心を持ってもらうという考えがあったのかもしれませんね
仕事の部分を除けば、とてもお優しい方だったそうですし
蹄の音を聞いて診断
トレーナーさんも上で教えてくれていますが、福永守さんはこんな風に馬の蹄の音を聞き、診断をして装蹄を行っていたそうです。
【先生の仕事のやり方】
まず馬をコンクリートやアスファルトなどの硬い場所で馬を歩かせます
「ぱらん、ぱらん、ぱらん」と蹄の音
それを聞いて「右前肢の外側が高い」とか「左後肢の内側が低い」とか診断されます
その診断に基づきに蹄を削り蹄鉄を打ちます
そしてもう一度同じ場所を歩かせます
すると
「カン!カン!カン!」とタップダンスのような鋭い音に変わります
さっきまで引きずられていた肢が綺麗に動きます
こちらのフェイスブックにも福永守さんのお話がありました。Wikipediaによれば何度かドキュメンタリーにも取り上げられてるみたいですが全然知らなかった…
福永守さんの伝説
福永さんの伝説の数々。やはり「神の領域」とまで言われるには理由があるんだなど納得せざるを得ない伝説がたくさんです。
・平成4年の段階で現代の名工の称号を得たのは競馬会で福永守氏のみ(たぶん今でも)
・タヤスツヨシが屈腱炎で引退後、北海道に帰る前に福永氏の装蹄を受けるためだけに広島へ迂回して北海道へ。
・自分に合った蹄刀類を自分で作るためだけに刀鍛冶屋に弟子入りした。
・若かりし頃はまだ日本に装蹄の技術があまり広まっていなかったため、屠殺場に入り浸り馬の体の構造(筋肉血管や腱の仕組みなど)を研究し尽くした。
・結婚して間もない頃は自宅の小屋に馬の脚数十本ぎっしり並べ、それぞれの脚に合った装蹄の研究をしていた。
・脚は腐ってくるため、妻は防ぐために脚の表面を焼いて腐敗を防いでいた。
・昭和35年の東京ダービー(当時の名称は春の鞍)を勝つセイショウは蹄骨を骨折し屠殺寸前のところを福永氏の研究材料として助けられ、万全の装蹄を施し福山競馬場でデビューさせた。
・デビューから圧勝を繰り返し、自身のレコードを更に更新する圧倒的強さで勝ちまくり南関東に移籍した後に18連勝目で上記のレースを制する。
・自分の装蹄を担当する馬を管理する調教師に「当てエビ」と言われるも納得できず、本当に当てエビでこうなるのかと別の馬の脚を棒で強く殴り同様の症状が出てくるか経過観察した(結果当てエビでないことが分かり、専門書に記載されていた当時の常識が覆された)
引用元:https://news.netkeiba.com/?pid=socialcolumn_view&cid=2157
そしてそんな福永守さんを支えていたのが奥さんである信子さん。福永さんが装蹄した競走馬があまりにも勝つので、国税局の査察が入ったり、暴力団が脅しに来たこともあるそうな。怖い。怖すぎる。
そんなガチの修羅場を一人で切り抜け、お弟子さんへのフォローなど全ての雑事を切り抜けてきた信子さんの支えがあって、福永守さんは「馬の神様」と呼ばれるほどの最高の仕事が出来たのかもしれません。(参照元:http://www.minkyo.or.jp/01/2007/02/0178178.html)
ギブリーと福永さん
「船橋競馬 矢野義幸厩舎公式ブログ」では福永さんと福永さんの馬であるギブリー(父メジロライアン、母ヤエチグサ)のお話やエピソードも紹介されています。
福永さんは地方競馬の馬主資格も持っており、生産や育成も行っていたそうです。
装蹄が終わった後の馬を観た矢野先生がつぶやく。
「生産・育成もやっていて、あの人のところの馬はすぐにぴょんと飛び乗れる。それくらい性格がいい。素直に育つ。」その”性格がいい”馬、ギブリー(父メジロライアン 母ヤエチグサ)のオーナーは福永さん。
競走馬として・・・という状態だった彼を救ったのは福永さんの装蹄だったらしい。ひと段落して手を休めて、私ににっこり笑いかけた福永さんは
「これ、わしの馬。」とギブリーを見て微笑む。
装蹄する姿、やさしい口調とあたたかな笑顔を見ていたら
ギブリーのやさしさの理由がわかる気もした。引用元:https://blog.goo.ne.jp/yano-stable/e/cd968095d9a5b6ac09cac009aec253bd
装蹄教育センターに行ってみたというブログ記事も面白かったです!福永さんの蹄鉄もあるらしい。蹄鉄コースターいいな~
トレーナーさん貴重なお話をありがとう御座います!
新婚さんの自宅の天井から何本もの馬の脚がぶら下がってるだけでも凄いのに、奥さんが腐りかけた馬の脚を焼いてるというのも凄い………ここまで仕事に、馬に真剣に向き合うって私にはとても想像出来ません。想像を絶するとはこのこと…
レースかっこいい!馬かわいい!馬券外れた!とはしゃいでいる裏で様々なプロフェッショナルの方々が関わっているんだと思うとなんていうか、色々考えさせられますね
こういう方たちのおかげで馬も元気でいられるんだなあ…感謝です。
カンリニンチャンの編集も含め、いい読み物だった。