カツラギエースの解説
雑談掲示板より
名無しのトレーナーカツラギエースが宝塚記念勝ち馬だってことを知らなかったので、軽く生涯を調べてみたけど
大一番シービーには勝てない、宝塚記念はシービーがいないから勝てたと揶揄されてたのを、最強メンツが勢揃いのJCで覆すって最高にカッコいい。背筋が震えた名無しのトレーナーそこそこ下の木で解説してくれてるで名無しのトレーナーカツラギエース辺りの時代になってくると
父名とか全然分からねぇな名無しのトレーナーカツラギエースとシンボリルドルフの子孫が今も走ってるんだね、ディープレイヤー名無しのトレーナーその馬の名はカツラギエース。父はボイズィーボーイ、母はタニノベンチヤ
父は今となっては説明にも難儀するマイナー種牡馬、母は名前の通りカントリー牧場生まれの牝馬
しかし彼女自身は1勝止まり、産駒の成績も思わしくなかったためセリに出されて350万円で落札される
この際に身ごもっていたのが後のカツラギエース。要するに微妙な種牡馬を付けた微妙な繁殖牝馬のオマケ的存在そんなカツラギエースは2歳の8月に日高のセリに出され、馬喰(ばくろう)佐藤伝二に710万円で落札される
馬喰と言うのはセリなどで安くて良い馬を見つけて得意先の馬主に売る、狭い業界故確かな相馬眼が求められる稼業
佐藤伝二は76年ダービーを天馬ことトウショウボーイを破って勝利したクライムカイザーの素質を見抜いた人物でもあり、
もっとも有名なところでは92年のBCクラシックを勝利するA.P. Indyの才能を見出したとも言われている
カツラギエースが後にそのトウショウボーイの代表産駒と戦うことを鑑みると、図らずも天馬を落とした男の第二の矢になったと言えようか最終的にオサイチ・カツラギの冠名で知られる野出一三氏の手に渡り、開業祝いとして栗東の土門一美厩舎に預けられる
内心「付き合いもあるから断れない」と引き受けた土門氏は血統やさして長所の無い馬体からその能力を疑問視していた模様
更に担当の原園厩務員からは「どんな安馬でも良いところの一つはあったが、こいつにはその一つもなかった」と言われる始末
実際、調教時のダートでの併せ馬ではアラブと併せても後れを取っていた有様なので仕方ないっちゃ仕方ないこれ以上調教しててもどうにもならんと半ばやけくそで出走した新馬戦芝1200で2着に8馬身差の圧勝
その後も2着、1着、3着と順調に結果を出して早々にオープン入り。新人調教師であった土門厩舎のエースとなる
ちなみに野出氏が同馬を購入した際の希望は「年に1勝くらいしてくれれば上等」程度のものだったらしい。やったぜ4歳(現3歳)になって春蘭賞を勝ち、7番人気で皐月賞に挑戦。しかし、初の遠征に加え、凄まじい不良馬場に泣いて11着
勝ち馬はトウショウボーイ産駒のミスターシービー。派手な追い込み戦法を武器に5戦4勝、5勝目にて1番人気に応えての一冠
カツラギエースはダービー出走権をかけて中2週で府中で開催されるNHK杯に出走。ここを勝利してダービーを目指す当時、関西馬が関東で結果を残すのが難しい中でNHK杯を勝ったカツラギエースは関西のエースとしてダービー3番人気
しかし勝ったのはミスターシービー。出走頭数21頭、いつもの追い込みで3角からダービーのジンクスなんのそので20頭全頭差し切って二冠
6着に敗れたカツラギエースはその後中京4歳特別(現在のファルコンS)を走るも2着。勝ち馬はニホンピロウイナー
翌年からのJRAの大改革によって始まる短距離路線の第一人者とも言える馬で、マイルの皇帝と称されるほどのマジヤバイ名馬である秋。菊花賞を目指して神戸新聞杯に出走するも2着。スズカコバンに敗れたが皐月・ダービー2着のメジロモンスニーには先着
ここからは鞍上を西浦勝一に変え、京都新聞杯に出走。そこには前走で敗れたスズカコバンに加えて、二冠馬ミスターシービーの姿もあった
ここでまさかの1着。スズカコバンに前走の借りを返した上に、ミスターシービーの連勝を自身の脚で止めてみせた
もっともここのミスターシービーは本調子ではなく、着順も4着であったためカツラギエースが勝たずとも勝利を逃していたが
ちなみにこの京都新聞杯。1~4着が最終的にG1を勝ち、5着のドウカンヤシマも6年連続重賞勝利という記録を持ち、掲示板に名馬しかいない
この〇年連続重賞勝利の記録を30年以上の時を経てようやく塗り替えたのが障害の絶対王者ことオジュウチョウサンらしい前走での勝利からミスターシービーの三冠阻止の筆頭候補として菊花賞では堂々の2番人気となったカツラギエース
しかし、3000はこの馬には長すぎた。勝ったのは淀の坂の定石を覆す走りで魅せたミスターシービー。シンザン以来19年ぶりの三冠達成
淀の坂はゆっくり上がってゆっくり下る。これを破って勝ったのはシービーと、奇しくも彼を主役にしたテレビCMが放送された年の勝ち馬、ゴールドシップのみ
カツラギエースは21頭中20着。前哨戦では強いのに本番で掲示板を外す事から『トライアルホース』の二つ名を貰ってしまうクラシックを終えてシービーもエースもひとまず休養に入るが、競馬はそれでも毎週開催される
菊花賞から中一週という現在より短い間隔で開催されていたジャパンカップ。この年は過酷な長距離レースを終えた日本の4歳(現3歳)馬からの出走は無し
海外記者からは三冠馬未出走を失望する声が上がり、この年の天皇賞・秋を勝利したキョウエイプロミス陣営が
「キョウエイプロミスが日本の代表・最強馬としてあなた方の相手を務めるのです」と返す一幕もあったがその言葉を真剣に受け止めるものは多くなかった当時の日本競馬はまだまだ発展途上にあり、過去2回開催されたジャパンカップでは当時の大将格を出走させながら掲示板もおぼつかない有様
この年もキョウエイプロミスの他にアンバーシャダイ、メジロティターン、ハギノカムイオーなどの古馬が出走するも掲示板に入れたのはキョウエイプロミス一頭のみ
ハギノカムイオーの一か八かの大逃げも、グランプリホースの脚も、親子二代天皇賞制覇の走りも全く届かない程の差。それが当時の日本競馬の現実であった
2着に食い込んだキョウエイプロミスももとより不安の多い脚を限界まで酷使して右前脚繋靱帯不全断裂。そのまま引退となったしかし、ようやく掴んだ2着。プロミスの走りは確かに海外馬は強いが、決して勝てない程の相手ではない事を証明してみせた
ならばあとはキョウエイプロミスより強い馬が走れば良い。例えば三冠馬ミスターシービー、或いは古馬で成長して彼に匹敵する程までの育った伏兵
或いは海外記者に実力を誇示したいがために重賞を蹴ってまでジャパンカップと同日に開催されるオープン戦に出走し楽勝するような、傲慢なまでの天才
いつか現れるであろうスーパーホース達に希望を託せるだけの走りを見せたキョウエイプロミス。その名も覚えて帰ってくれると大変うれしい限り5歳(現4歳)になったカツラギエースは3月の鳴尾記念から始動。前走の結果や休み明け初戦と言う事もあって8番人気
ここは4着に敗れるものの、続くサンケイ大阪杯、京阪杯を連勝するとこの年導入のグレード制によってG1となった宝塚記念に出走
シービー不在とは言え、ここで同期の有力馬スズカコバンを抑えて勝利。世代のエースとして晴れてG1馬の仲間入りを果たす
その後、高松宮杯に出走するも苦手とする重馬場に泣かされて5着。オチを付けつつ5歳の春シーズンを終えて、短い休養に入る時を少し戻して。この年のクラシックには怪物が居た。名をシンボリルドルフ。最終的に無敗の三冠を達成するシンボリの最高傑作である
更には南関東の三冠馬サンオーイが中央に移籍。安田記念を初の芝レースながら3着、夏には札幌のダートで1勝2着1回の好成績を残す
ダートで敗れた相手のローラーキングも不良馬場とは言えニホンピロウイナーを下した馬だが本題から逸れるのでここでは割愛
そして怪我で菊花賞から1年近く戦線を離脱していたミスターシービーが秋から復帰。カツラギエースの本当の戦いが幕を開ける秋初戦の毎日王冠ではサンオーイとミスターシービーの三冠馬2頭と対決する事となったカツラギエース
1番人気サンオーイ、2番人気ミスターシービー。オッズ的には少し離れて3番人気カツラギエースと言う評価だったがここを見事勝利
が、シービーが復帰明け初戦だった事や上がり33秒台の当時としては破格の末脚を見せた事からこちらの方が負けて強しと評価される
そしてこの年から距離を2000とした天皇賞(秋)。得意距離ながら観客の歓声でかかって5着。ミスターシービーが勝利し、四冠目を手にした次走はジャパンカップ。適性距離よりは明らかに長く、しかも相手は当時の日本馬よりレベルの高い海外馬10頭と三冠馬2頭
ただの先行ではシンボリルドルフとの上がり勝負に勝てるはずもなく、後方からではミスターシービーと上がり勝負。これも勝ち目なし
更に海外馬。未だ日本馬はジャパンカップを勝てておらず、ミスターシービー以上の上がりで突っ込んでくる化け物が居ないとも言い切れないそんな常軌を逸した相手にどうすれば結果を残せるのか?惨敗する悪夢にうなされる日々が続くほどに西浦騎手は考え抜いた
この日のために原園厩務員と相談しつつ、幾つもの秘策を用意した。1つは長手綱。騎手の意思より馬の気持ちを尊重して、消耗を抑える
2つ目はメンコの装着。音に敏感なカツラギエースが歓声でかからないようにするためのものだが、問題は土門調教師が矯正馬具嫌いということ
これはもう怒られても構わないので調教師には黙って装着したまま出走しようという、一歩誤れば干されかねない博打を打つことに3つ目は緩急をつけた大逃げ。最初に逃げてアドバンテージを得た上で、十分スタミナを残していれば最後の直線で粘り切れる
言うは易いが警戒されれば潰されるし、馬の気性次第では器用に制御できない。何より実際に大舞台でそれをやってのける度胸も必須
どこまで西浦騎手が想定していたかは定かでないが、昨年のハギノカムイオーが大逃げに失敗して大敗したこと、三冠馬二頭の影に隠れてしまったこと
更には調整ルームで秘めたる闘争心を押し殺して「賑やかしの記念出走」かのように振る舞って侮られる事に徹したのが功を奏する世界が見守る大舞台、単勝55倍10番人気の伏兵が10頭の海外馬と2頭の三冠馬、桜花賞馬を従えてゴール板を駆け抜けた
現地の観客はまさかの決着に呆然とし、海外の競馬紙は「日本のエースの快挙」と報道、シンボリルドルフは敗北を大層悔しがったとか
もっとも、ルドルフは調子が整わないままに菊花賞から中一週の強行軍で出走したことを鑑みると3着にいるのが不思議なくらいではあるのだが……
ちなみに西浦騎手はいっぱいいっぱい過ぎてレース前後の事はさっぱり覚えていないらしく、結局メンコの件で怒られたかは不明次走は有馬記念、ここで引退して種牡馬入りを発表。これを聞いたシンボリルドルフ陣営は休養の予定を撤回して有馬参戦を表明
「勝ち逃げは許さん。カツラギエースとのマッチレース」とまで言い切ってしまうシンボリ陣営に対してカツラギ陣営はと言うと……
「これで引退レースなので、勝負服とメンコのデザインをお揃いにしてみます」との事。調教師にメンコが認められて良かったね!!
これも油断してもらった方が勝ちやすいが故。陣営は勝つ気で最高の仕上げにしていたようだが、シンボリルドルフにそんなものは通用しない当然、ミスターシービーも参戦。3強体制となった有馬記念。とは言え、前走はフロック視されカツラギエースは少し離れた3番人気
人気がどうあれ厩舎の、関西の、世代の、そして日本のエースとしてやることは一つ。先頭を走る。そして、いかなる挑戦も受けて立つ
結果は世界でもタイトルのためでもなく、生まれて初めてただ一頭の馬に勝つために走った万全のシンボリルドルフの走りに屈して2着
それでも追い込んで来たミスターシービーは凌ぎ切り、3着までがコースレコードを超える名勝負を最後にカツラギエースはターフを去った22戦10勝、G1を2勝の実績から3億3000万円のシンジゲートが組まれ、北海道新冠町の泉しゅう牧場で種牡馬となるもあまり振るわず
2000年7月3日、心臓発作のため死去。享年21歳。墓は彼が長く余生を過ごした冬沢牧場に建立された。残念ながらその血はあまり残らなかったが……
一方で、彼の走りを見て騎手を志した一人の若者がタップダンスシチーを相棒にシンボリクリスエスと熱い勝負を繰り広げたり、半弟が高値で落札されたり、
半妹も重賞を勝ったり、西浦騎手がメンコにこだわりのある調教師としてカワカミプリンセスやホッコータルマエを送り出すなど後世に様々な影響を残した彼の死から更に時が流れて冬沢牧場さえも無くなり、現在その跡地はログハウスとして利用されている
パッとしない両親から生まれ、新人調教師の厩舎に預けられ、東高西低の時代に栗東の代表として世界と三冠馬に挑んだカツラギエース
しかし、ファンから贈られたという墓は今もそこに佇んでいて、墓標には彼の走りを讃えた一文が刻まれているあの”ジャパンカップ”を想い出します
“ジャパンカップ”の感動を!!
もう一度、君とミスターシービーの対決を!!
名無しのトレーナーエース実装とのことなので過去に2度ほど貼ったエース推し文章を再度
とにかく最高に最高な奴なのでハニバとか気にせずに引いてやってください……!名無しのトレーナーカツラギさん解説ニキひさしぶり
そしておめでとう名無しのトレーナー読みものとして普通に満足度高くて芝名無しのトレーナーめっちゃ気合い入った文章
最後まで読んだ
正直助かる名無しのトレーナー実装おめでとう!名無しのトレーナーカツラギエースが育成実装されたのであれば…
そろそろ私の出番かな?
名無しのトレーナー育成できなくてもいいから三女神の立ち位置みたいなのに来てほしい
ウイナー TTG シンザン名無しのトレーナー流石にシービーやエースと同世代で三女神みたいな立ち位置はないだろう
マルおねとTTGのT? 知らんな名無しのトレーナーゼファーもいるし絡ませられる相手も増えてるしでその内実装されるやろ(慢心)名無しのトレーナー運営ちゃん…ギャロップを札幌日経オープンに出走させたいです…
詳しいご解説ありがとうございます!発表から早い段階で実装されましたから昔から実装を心待ちにしている人からすると嬉しいことですよね!
全部読んでしまった
まるで主人公のようだ